みなさん、こんにちは。cloud141です。思い出話をもう一つ。私が大学に入ったころ、1985年ごろ、「知的生活の方法」など渡部昇一さんの著作に親しんでいたのと母子家庭で経済的にも不安定だったので心の支えが欲しいと思い、キリスト教に関心を持っていたこともあってイグナチオ教会の入門講座などを受講していました。
私が通っていた大学では原理研とか手かざしあるいは民青、革マルといった教室にビラをまいて紙くずだらけにする輩が跋扈していて、そういうのとは関わりたくはないと思っていました。そこで、駅にも近く、当時はいろんな神父さんがそれぞれのやり方で、カルチャーセンターのような雰囲気で無料で参加できたイグナチオ教会に時々お邪魔していました。いまでは日本語の上手な外国人の方はたくさんいますけれど当時はとても珍しく、それだけでも宣教師とはすごいものだと感心しました。
デーケン神父の入門講座は「死生学」という話題にもかかわらず、その人柄かとても明るい雰囲気でした。そこで取り上げられていたのがヴィクトールフランクルの「夜と霧」の話題でした。たまたま覗いたデーケン神父の講座を聞いて、高校の時私に読むように勧めてくれた司書の先生の意図がはじめてわかりました。当時のイグナチオ教会はキリスト教の話をするよりも実存主義哲学について話題にする神父が多かったように思います。デーケン神父の講座は何度かお邪魔しましたが、当時はすでに新聞にも時々取り上げられてすこし名の知られていたデーケン神父とは特にお話しすることもなく、私はザアカイのように一番後ろの席で聴講するだけでした。
そうだ、デーケン神父のことで思い出したことがありました。デーケン神父は当時とてもゴルバチョフを褒めていました。ソビエトは共産主義なので宗教は禁じられていたけれど、ゴルバチョフはお母さんの影響から信仰心を持っていたといわれています。ゴルバチョフのありようは聖書の以下の個所によく似ています。
マタイ 27.11から28.20
マルコ 15.1から16.20
ルカ 23.1から24.53
ヨハネ 19.1から21.25
当時はよくその意味が分からなかったけれど、あとになって「ジーザスクライストスーパースター」という劇団四季のミュージカルをみたり、「パッション」という映画を見たときにわかりました。
デーケン神父はイエズス会の経営するフォーダム大学出身です。フォーダム大学と言えば最近では小室圭さんが有名ですね。Wikipediaをみると第45代アメリカ大統領のドナルドトランプも2年間だけ在籍して、他大学にトランスファーしたようです。
いまはアメリカでもヨーロッパでも神父になるひとが少なくなって、日本にやってくる神父さんも途上国出身の方が増え、かつてのようなカルチャーセンター的な雰囲気が薄れてきているように思います。