ぶらぶらマーケティング日記

ぶらぶら街中を歩いて思いついたことを記録します。。。

【動画】History of Steve Jobs

みなさん、こんにちは。cloud141です。ネットをぶらぶら(browsing)していたらスティーブジョブスの動画があり、非常に興味深い内容でした。

 

 

中でも興味深かったのはSteveJobsには若いうちから親しく付き合っていた日本人の

禅僧がいたということです。有名になってから近寄ってきたのではなく、まだ何者

でもないころから友人だったという。

 

乙川弘文さんは大きなお寺に生まれて、京都大学大学院、永平寺で修業されたエリートコースにいましたが、当時勃興し始めたシリコンバレーに赴いて禅を指導しました。この本を読んでも弘文さんとジョブスがどんな会話をしたのかはわかりませんが、ジョブスは弘文さんに結婚式の司式を頼んだり、自宅に住まわせたり、かなり親しい関係だったようです。

 

カトリック教会、というかイエズス会も早くから諸宗教との対話ということで禅に取り組んでいたようです。私は会ったことがありませんが臨済宗を研究し、岩波文庫でイグナチオロヨラの「霊操」を訳した門脇佳吉神父と弘文さんと同じ曹洞宗で禅を習い、教える資格まできちんと取得されたリーゼンフーバー神父がいました。

 

私は他大学生でしたが、大学構内にあるSJハウスにてリーゼンフーバー神父が行っていた坐禅の会に2年ぐらい通っていました。リーゼンフーバー神父はドイツ人でしたが、坐禅がすごく上手でした。通常キリスト教では念祷といって祈りの言葉を繰り返して祈るそうで、坐禅のように呼吸に集中して、ただ座る(只管打座)という祈り方はないそうです。たしか40分を3SETやっていたように思いますが、結構大変です。うまく座れるときもあれば、ただただ早く終わらないかなと考えているときもありました。うまく座れた時はスキューバダイビングで深く海に潜ったときのように、大気の底のほうに座っているような感じになり、遠くの通りの往来の音がくっきり聞こえてきます。人は悩み事があるとぐるぐると同じ思考の繰り返しになります。坐禅はそうした同じ思考の繰り返しの円環をいったん断ち切るにはいい方法だと思います。考えないという意味では<無>だし、ただひたすら座っているという意味では<存在>なのだから、もしかすると仏教とキリスト教は矛盾しないかもしれません。同じことを違う角度で言い表しているだけなのかもしれませんね。

 

カトリックプロテスタント、禅、チベット仏教...世界にはいろいろな宗教が存在するが核はすべて同じだ”(乙川弘文)

 

いまはネットで検索すれば曹洞宗のお寺で坐禅会の日程などがわかります。有料のところもあれば、無料のところもあります。まあ、坐禅をやったからといってジョブスのようになれるわけではありませんが、外国の人が評価してくれる日本の伝統文化(もともとはインド、中国からやってきたけれど本家は廃れてしまって日本には残っている文化)を見直してみるのもいいかもしれませんね。

 

ここまで書いてふと思い出しました。私はお寺の経営する幼稚園に通っていたのですが調べてみたら曹洞宗のお寺でした。宗教というのは、知らないうちにお世話になっているものですね。