ぶらぶらマーケティング日記

ぶらぶら街中を歩いて思いついたことを記録します。。。

【IT】データサイエンス学部よりコンピュータサイエンス学部

みなさん、こんにちは。cloud141です。最近はいろいろな大学でデータサイエンス学部ができましたが、なぜかコンピュータサイエンス学部というのは日本ではあまり見かけません。googleで検索すると1件、東京工科大学しかひっかかりません。コンピュータサイエンス学部的な、基礎的なハードウェア、ソフトウェア、ネットワーク、データベース、クラウド、セキュリティ、動画作成、WEB作成などの勉強は日本では専門学校が担っているようです。先日一緒に働いたひとは私とほぼ同じ年で情報処理の専門学校出身で年収7億あると言っていました(納税通知書を見せてもらいました)。かつて会社を経営していて、いまはぼけないように負担が軽い仕事をしていると言っていました。さらにアクセンチュアにも採用通知をもらったが英語が喋れないので入社しなかったといっていました(採用のメールを見せてもらいました)。 

 教える先生が見つからない、設備投資にお金がかかるなど理由があったかもしれませんが、応用的なデータサイエンスよりも基礎的なコンピュータサイエンスのほうが学部として学ぶにはふさわしいように思うのです。ほかに専門(会計学、経済学、社会学マーケティング、工学、医学など)があって、その時データの処理にデータサイエンスの知識(多分、統計学と確率とBIあるいはEXCEL)が必要になるというのならわかりますが。。。海外では一般的に高給で人気のIT企業に就職するにはコンピュータサイエンス学部卒か修士でないと難しいようです。まあ、今更なんですけれど。。。日本人がインド人や中国人・韓国人に比較してITに長けているようには思えません。基礎がないのにデータサイエンス学部って分数ができないのに方程式を解けっと言っているように見えるのです。

 

[追記]

日本では情報通信学部という名称でIT系のことを学ぶ学部は以前からありましたが、研究色が強い印象がありました。最近では専門学校的な実践色が強いことを教える大学も出てきたように思います。情報通信学部は英訳すればtelecommunicationだから通常は通信やネットワークのお勉強かと思いますが、必ずしも学部の名称とカリキュラムが一致するとは限らないようです。

 

[追記2]

専門学校が大学を作っているようです。研究じゃなくて実践的でいいですよね。

ITプラス会計プラス英語力がつけば理想的ですね。

【iU】情報経営イノベーション専門職大学|世界を変える、問いを持て。 (i-u.ac.jp)

 

 

【動画】History of Steve Jobs

みなさん、こんにちは。cloud141です。ネットをぶらぶら(browsing)していたらスティーブジョブスの動画があり、非常に興味深い内容でした。

 

 

中でも興味深かったのはSteveJobsには若いうちから親しく付き合っていた日本人の

禅僧がいたということです。有名になってから近寄ってきたのではなく、まだ何者

でもないころから友人だったという。

 

乙川弘文さんは大きなお寺に生まれて、京都大学大学院、永平寺で修業されたエリートコースにいましたが、当時勃興し始めたシリコンバレーに赴いて禅を指導しました。この本を読んでも弘文さんとジョブスがどんな会話をしたのかはわかりませんが、ジョブスは弘文さんに結婚式の司式を頼んだり、自宅に住まわせたり、かなり親しい関係だったようです。

 

カトリック教会、というかイエズス会も早くから諸宗教との対話ということで禅に取り組んでいたようです。私は会ったことがありませんが臨済宗を研究し、岩波文庫でイグナチオロヨラの「霊操」を訳した門脇佳吉神父と弘文さんと同じ曹洞宗で禅を習い、教える資格まできちんと取得されたリーゼンフーバー神父がいました。

 

私は他大学生でしたが、大学構内にあるSJハウスにてリーゼンフーバー神父が行っていた坐禅の会に2年ぐらい通っていました。リーゼンフーバー神父はドイツ人でしたが、坐禅がすごく上手でした。通常キリスト教では念祷といって祈りの言葉を繰り返して祈るそうで、坐禅のように呼吸に集中して、ただ座る(只管打座)という祈り方はないそうです。たしか40分を3SETやっていたように思いますが、結構大変です。うまく座れるときもあれば、ただただ早く終わらないかなと考えているときもありました。うまく座れた時はスキューバダイビングで深く海に潜ったときのように、大気の底のほうに座っているような感じになり、遠くの通りの往来の音がくっきり聞こえてきます。人は悩み事があるとぐるぐると同じ思考の繰り返しになります。坐禅はそうした同じ思考の繰り返しの円環をいったん断ち切るにはいい方法だと思います。考えないという意味では<無>だし、ただひたすら座っているという意味では<存在>なのだから、もしかすると仏教とキリスト教は矛盾しないかもしれません。同じことを違う角度で言い表しているだけなのかもしれませんね。

 

カトリックプロテスタント、禅、チベット仏教...世界にはいろいろな宗教が存在するが核はすべて同じだ”(乙川弘文)

 

いまはネットで検索すれば曹洞宗のお寺で坐禅会の日程などがわかります。有料のところもあれば、無料のところもあります。まあ、坐禅をやったからといってジョブスのようになれるわけではありませんが、外国の人が評価してくれる日本の伝統文化(もともとはインド、中国からやってきたけれど本家は廃れてしまって日本には残っている文化)を見直してみるのもいいかもしれませんね。

 

ここまで書いてふと思い出しました。私はお寺の経営する幼稚園に通っていたのですが調べてみたら曹洞宗のお寺でした。宗教というのは、知らないうちにお世話になっているものですね。

 

 

【動画】Navy SEALs

みなさん、こんにちは。cloud141です。英語のスピーチの動画で興味深いものがあったので上げておきます。

 

 

感想としては

1)アメリカにも日本の体育会のように根性を鍛えるプログラムがあるようです。

 きれいに身繕いしても上官に理不尽な難癖付けられてやり直しになります。 

 強靭な体力も必要ですがどんな逆境においてもめげない精神力を鍛えるのが目的    

 のようです。         

 

2)大波の中をあえてゴムボートで沖に出ます。チームが協力しないとミッションは

 達成されず、何度もやり直しになります。個人主義と思われがちなアメリカ人も

 ここでチームワークを学びます。

 

3)日本のいじめのような陰湿さはなく、鐘を鳴らせば退場することができます。

 戦時中の日本のように徴兵されて軍隊で訓練させらているのではなく、彼らは    

 志願してやっています。

 

 こういう人たちがいる限り、アメリカはやっぱり強い国だと思うのです。オバマ

スピーチを暗唱するよりこの人のスピーチを暗唱したほうが役に立つかもしれません。

「世界大学ランキング」という戦略

みなさん、こんにちは。cloud141です。ネットや新聞でしばしば「世界大学ランキング」というのが公表されますが、ランキングに弱い日本人をコントロールする目的があるように感じます。疑問点は以下のとおり。

 

1)評価基準は共通の尺度として妥当なのか

2)ノーベル賞受賞者がほとんどいない中国の大学のほうが日本の大学より評価が高いのはなぜなのか

 

中国の大学が日本の大学より高く評価されることで日本の大学にそれらの大学の出身の中国の方が教授職として採用されて大丈夫なのか。しかもそれは税金で成り立っている大学なら一層心配に思うのです。中国は共産主義の国ですが、それらの国の教員が増えると日本への影響力が強くなるのではないかという心配があります。あのランキングをみて日本の若い人が東大よりも北京大学清華大学を目指そうと思わないだろうか。いまや香港もかつてのような自由な国ではなく、中国共産党支配下にあります。もっとも日本が独立国であることを辞めて、中国の一部になったほうが良いと考えているのなら別ですが。。。

 

共産主義についてはジョージオーウェルが描いた通りです。未読の人はぜひ読んだほうがいいと思います。

 

 

そしてハイエクも。。。これらの本は古くなっていないと思います。

 

アダムスミスは道徳哲学の先生だったことも忘れてはならないでしょう。。。

 

 

 

 

 

アルフォンスデーケン神父

みなさん、こんにちは。cloud141です。思い出話をもう一つ。私が大学に入ったころ、1985年ごろ、「知的生活の方法」など渡部昇一さんの著作に親しんでいたのと母子家庭で経済的にも不安定だったので心の支えが欲しいと思い、キリスト教に関心を持っていたこともあってイグナチオ教会の入門講座などを受講していました。

私が通っていた大学では原理研とか手かざしあるいは民青、革マルといった教室にビラをまいて紙くずだらけにする輩が跋扈していて、そういうのとは関わりたくはないと思っていました。そこで、駅にも近く、当時はいろんな神父さんがそれぞれのやり方で、カルチャーセンターのような雰囲気で無料で参加できたイグナチオ教会に時々お邪魔していました。いまでは日本語の上手な外国人の方はたくさんいますけれど当時はとても珍しく、それだけでも宣教師とはすごいものだと感心しました。

 

デーケン神父の入門講座は「死生学」という話題にもかかわらず、その人柄かとても明るい雰囲気でした。そこで取り上げられていたのがヴィクトールフランクルの「夜と霧」の話題でした。たまたま覗いたデーケン神父の講座を聞いて、高校の時私に読むように勧めてくれた司書の先生の意図がはじめてわかりました。当時のイグナチオ教会はキリスト教の話をするよりも実存主義哲学について話題にする神父が多かったように思います。デーケン神父の講座は何度かお邪魔しましたが、当時はすでに新聞にも時々取り上げられてすこし名の知られていたデーケン神父とは特にお話しすることもなく、私はザアカイのように一番後ろの席で聴講するだけでした。

 

そうだ、デーケン神父のことで思い出したことがありました。デーケン神父は当時とてもゴルバチョフを褒めていました。ソビエト共産主義なので宗教は禁じられていたけれど、ゴルバチョフはお母さんの影響から信仰心を持っていたといわれています。ゴルバチョフのありようは聖書の以下の個所によく似ています。

 

マタイ 27.11から28.20

マルコ 15.1から16.20

ルカ 23.1から24.53

ヨハネ 19.1から21.25 

 

当時はよくその意味が分からなかったけれど、あとになって「ジーザスクライストスーパースター」という劇団四季のミュージカルをみたり、「パッション」という映画を見たときにわかりました。

 

デーケン神父はイエズス会の経営するフォーダム大学出身です。フォーダム大学と言えば最近では小室圭さんが有名ですね。Wikipediaをみると第45代アメリカ大統領のドナルドトランプも2年間だけ在籍して、他大学にトランスファーしたようです。

 

 

 
 

www.fordham.edu

 いまはアメリカでもヨーロッパでも神父になるひとが少なくなって、日本にやってくる神父さんも途上国出身の方が増え、かつてのようなカルチャーセンター的な雰囲気が薄れてきているように思います。